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§1) MGBの主観的考察 [2]


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MGBの変遷

 1980年にMGBがアビンドン・ファクトリーの最後のラインを出るまで、実に51万台余りが生産された。あしかけ18年にもなるMGBが生き抜いた時代は、世界規模で量っても、自動車の様々な技術が飛躍的に進歩した激動の時代に重なった。

 高速化に伴う安全基準の強化、自動車に対するユーザーの贅沢な価値観、そして何よりも世界中のスポーツカーを苦しめたオイルクライシスと、社会問題となりつつあった排気ガス公害対策への適応は、例外なくMGBにもふりそそいだ。

 詳細なデータはお得意なウェブサイトに譲るとして、MGBは、BMCのアナウンスメントとは別に、大きく分けると4つのスタイルに分類される。(別記参照)

 最初期ののシンプルなアーリー・モデル、フロントグリル周りのデザインをリファインしたリセスドグリル・モデル、同じくフロントグリルをブラックにまとめ、よりスポーティな顔立ちを得たブラックメッシュ・モデル。さらには、MGBが最も大きな変身を遂げたラバーバンパーの装着。

 また、1965年にはGTカーの需要に応えるべく、フィックスヘッドクーペとなった「MGB-GT」がデビューし、用途に応じたスポーティなMGBを楽しめるようになった。

 途中、1968年にBMCは、かつてのライバルだったレイランド・グループと統合し、ブリティッシュ・レイランド(BLMC)となって、MGBの技術や装備、またサービスの充実に努めた。

MGBのラバーバンパー

 さて、1974年半ば。

 MGBは、主力としていた輸出先である北米の安全対策基準と、排ガス規制をクリアするため、苦渋の選択を迫られた。多くの欧州製スポーツカーが息の根を絶たれ消えていく中、なんとかして生きながらえるための存亡を賭けて、MGBは、大きなウレタンラバー製のバンパーを前後に背負った。

 また排気ガスの浄化を行うため、キャタライザーに頼るだけでは果たせず、完全燃焼をさせるためのエアコンプレッサーがクランクプーリーに枷として装着されたのである。

 この境をしてMGBは終わったと嘆く向きも少なくないけれども、あの時代にあって、したたかに生き長らえ、その後にも世界中に数知れないファンを魅了し続けたスポーツカーが、はたして他にあっただろうか。

 ラバーバンパーMGBは最後の一年を除くと、毎年23万台〜29万台がコンスタントに生産された。この数字からみてもMGBがどんなに世界中で愛され、迎えられていたかが良く解る。MGBの持ち味であるスマートなスタイルを崩すことなく巧みにバンパーを装着し、英国製スポーツカーの文脈を頑なに放さなかった。

 しかし時代の流れは速かった。プッシュロッドを持つ4気筒エンジンは、やがてスムースなパワーを提供する直列6気筒OHCエンジンにとって代わられ、静かに役割を終えた。

 激変する世界の自動車環境にあってMGBは、余すところ無くその味わいを人々に与え続け、ジョンブル魂の象徴として伝統と中庸を貫いた。

 現世に残されたMGBは、幾人もの人の手によって可愛がられ、ガソリン燃料が無くなるまで世界各地の山や海に沿った道を走り続けることだろう。一介のMGBオウナーとして、そう願ってやまない。

心情的スポーツカー

 オープンカーで、かつスポーツカーでありながら、エンジンはプッシュロッドを持つ乗用車のリターンフロウOHV。ライトウェイトスポーツのように言われながら、誰にでも乗られる、実はあんまり速くない自動車。

 それでもオープンボディを持つツーシーターとしては異例の人気を博し、後にマツダがミアータ(ユーノス・ロードスター)を大ヒットさせる布石にもなった、英国的アマチュアリズムの集大成。

 そんな様を見て英国人が口々に言ったMGBこそ、「心情的スポーツカー」なのである。

* MGBの主観的考察














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